30日目 僕にはわからない
ここまでのあらすじ
僕--青柳徹は3年間付き合ってきた彼女--宗方ミクに一方的に振られてしまった。
「酒を飲むのも、酒を飲まないとブログに書くのも、どっちも同じなんだよ。
どっちも自分のことしか考えてない。どっちも自分勝手な行為なんだよ」
ミクのその言葉の意味が腑に落ちる前に通勤電車の中でいつも会う女子高生の那由多と僕は肉体関係になってしまう。
でも那由多には他人には言えない危険な隠し事があるようで……
「禁欲・禁酒30日目……」
通勤電車。
那由多は僕のiphoneを覗き込んでつぶやく。はてなブログアプリには僕のブログが写っている。
いつものボックス席に隣合わせに座っている僕と那由多。いつもの1時間のデート。
車内はいつものように混み合っていて埃っぽくて苛立っている。
静と動、そして沈黙と喧騒が居心地悪く重なり合う。甘い匂いとタバコの臭いも。
僕の左側は生暖かくて柑橘系のいい匂いがする。那由多が僕の左腕に寄りかかっている。
「そろそろ酒池肉林したくなってきたって感じなのかな?」「それがあんまりそうでもないんだよ」「絶対うそだよ」「いやまじで」「信じらんないな。今日、パコってみる?」「パコらない。パコるとかいうな」「セッ……ションしてみる?」「セッションしない」「那由多ックスしてみる?」「電車の中なんだから変なこと言うなよ」「硬いねえ。あそこも硬いからね」「セクハラおやじか」「元カノにもこんな感じで硬かったの?」「そうでもないけど」「あのね、JKが誘ってるんだから、乗らないとダメだよ。このビックウェーブに」「それ久しぶりに聞いたな」「那由多にも乗ってほしいんですよ」「いきなり敬語」
と、ここで那由多は一息呼吸を入れ、言う。
「那由多とセックスしてほしいんですよ」
耳元で囁くように那由多は言う。荒い鼻息が耳に掛かってくしゃみが出てしまう。
那由多はぎゅうぎゅうと身体を寄せてくる。柔らかくて、でも物凄く華奢な身体。
僕が左に頭を傾けると那由多の頭とぶつかる。痛い、と那由多が言う。
「何? 何? まだ元カノひきづってるわけ?」「別にそういうわけじゃないけど」「意味わからないこと一方的に言われて振られた相手なんでしょ。どーでもいいよね」「どーでもよくはないけど」「まあ、3年は長いけど。でも3年で済んでよかったんだよ。3年間、土の中にいる蝉だっているわけだし」「なぜ蝉が」「ここには新しい世界があるんだよ」「いきなり」「JKを彼女にして、青春ックスできるという世界が」「その、ックスってのやめてくれない?」「反応しちゃうから?」「下品な感じがする」「でも徹くんのプレイは下品だったよ」「飢えてたから」「徹くん、女の子の脚はあんな風に……」
那由多は舌をべろんと突き出す。
「……舐めるものではないと、思います」「飢えてたんだよ」「JKの脚だからなのかな」「そのJKってのも下品だからやめてくれない?」「言葉というのは日々変化するからね。実際、JKって言葉ちょっと古いんだけど、その古さを自覚して、使ってます」「電車の中だから、特に、やめたほうがいいと思う」「ああ、もう、硬いんだよ。徹くん、硬いのはここだけで十分だからね?」
スーツの上からさすさすする手を僕は止めさせる。こういうソフトな刺激って結構危ない。
「欲望に溺れる、欲望を抑制しブログに書く、それはどちらも同じこと、か。どういう意味なのかな」「さあ」「どっちも自分勝手、か。元カノはもっと徹くんに構って欲しかったのでは」「それは、どうなんだろう。うんまあ……そうかもしれないけど」「どっちも、視点は内向きなんだよね。酒を飲むのも内向き、酒を飲まないのも内向き、それをブログに書いても、やっぱり内向き。そういう意味では確かに同じかもしれない」「まあね」「そういうのが積もり積もって、自分勝手、という印象になっていった」「……そうかも」「周りの人からすれば、酒を飲もうがしこしこしようが、あんまり関係ないんだよね。でも、それをするとかしないとか、固執するその姿勢は自分勝手に見えるかもしれないよ」「……」
那由多は僕のiphoneをポケットから取り出す。
そして僕の指でホームボタンを押し、指紋認識を解除する。スムーズに。
「なんのためにこのブログを続けるのかな? 徹くんは」
はてなブログアプリに僕のブログが写っている。
「自分自身のため? 自己満足のため? 仲間作りのため? 本来の目的はなんだった?」
那由多はアプリを長押しし、アプリ削除モードに入る。画面全体のアプリが不気味に揺れ始める。
「なんのために禁欲・禁酒を始めたの?」
●
酒を飲むのも執着。飲まないのも執着。
飲まないほうが健康にいいだろうが、最終的に訪れる死を避けることは誰にもできない。
「長寿の秘訣はなんでしょうか?」
「……酒、タバコを控えること、じゃよ」
酒も飲まず、タバコも吸わず、堅実に生きてきた、今、老衰を迎えようとしている老人の横で、親戚一同が並んで、そんな言葉を聞く。
その横の部屋では酒を飲みまくってタバコを吸いまくってガハハハと笑う豪傑がいる。
その豪傑は、今、往生しようとしている男の兄だった、とか。
●
那由多ははてなブログアプリを消す。
そのままアイドルマスターのゲームアプリも消す。突然の巻き添えだったので僕は反応できない。
「もう、自分のためだけに生きるのはやめよう。人のため、社会のために、那由多のために生きるんだよ」
「鬼か」
「男には鬼にならなきゃだめな時があるらしいですよ?」
「女子高生に何がわかるんだ」
「女子高生はなんでも知ってるんだよ。ただ、大人になるにつれ、忘れていくだけ」
那由多は僕のポケットにiphoneを戻す。
そして、左耳にキスし、立ち上がる。
「また、明日ね」
●
そうして、結局のところ、僕ははてなブログを書いている。
元カノも今カノをも裏切って僕はブログを書いている。
二人から、なにか、大事なことを言われたような気がする。
でも、僕にははっきりとはわからない。
僕には『わからない』という内容のブログエントリーを書くことしかできない。
今はまだ、それくらいしか出来そうにない。