nananashinaの日記

禁欲・禁酒で人生を立て直す

日報6日目 曲線を図る物差しは曲がってなければならない。

児童向けの児童小説というものがあれば、少年向けの少年小説もあり、大人向けの大人小説もあれば、中年向けの中年小説もある。

となると当然ながら老人向けの老人小説もあり、この少子高齢化社会を考えるに、これからのメインマーケットはもちろん老人向け小説ということになる。

 

多くの老人は冒険を好まない。

長年生きてきて、一番大事なのは今を幸せに生きることだと思っている。

今更ながら火星に住もうとかシリコンバレーで一旗揚げようとか思わない。

社会を混乱させようとか、ひ孫みたいな若い子と恋に落ちようとも思わない。

 

夕日に赤く染まった白樺の枝が若き頃の今は亡き母親を思わせる、みたいなさり気ない感傷の中に生きている。

 

僕は売れない小説家だ。

なぜ売れないのか。

その理由はよくわかっている。僕にはこだわりがないのだ。

書きたいものがない。これといった得意分野がない。

 

比喩でもなんでもなく本物の『野良犬』が主人公のなんの起伏もない小説を延々と書いて文学賞に投稿したらなぜか賞をいただいて、純犬文学作家としてデビューしたけれど、別段、犬が好きというわけでもなかったため、次のヒットは生まれなかった。

 

鬱鬱とした気持ちで、なぜ円周率は収束しないのか、というテーマでSF小説を延々と書いていたところ、昔お世話になった出版社の担当から電話が掛かってきて、老人小説を書いたらどうかとお誘いがあった。

 

−今なら老人小説を書くと入れ食い状態で売れますよ。

−はあ。老人小説、ですか。

 

僕はおうむ返しのように言葉を反射させる。

 

−なんの起伏もなく、葛藤もなく、悪口も愚痴も言わず、ただただ車載カメラのように世界を書けばいいんです。戦いも恋愛も書かなくていいんです。

−はあ。今、僕が書いている円周率小説も似たようなものですけどね。

−円周率に興味を持つ人は少ないですが、世界に興味を持つ人はたくさんいますよ。

 

いきなり円周率小説を否定された僕はその後、彼と不毛な口論を繰り広げ、最終的には老人小説を書くことになった。

 

老人小説

日報314159273日目。

靴を履き、玄関の戸を開く。11月の冷めた空気がサアっと滑り込んでくる。

早朝だった。まだ夜は明けていなかった。白っぽい湿った空気。息を吸い込む。

 

何度目の朝なんだろうか。

生きて寝て起きて生きて寝て起きて……永久の繰り返しを生きているようで、でも少しずつ衰えていることを自覚する。

顔はいつしか肉が落ち、3種類くらいの表情しかできなくなった。

手持ちの駒も3種類くらいしかなくなった。

将棋で言えば、銀と桂馬と歩くらいしかない。

しかし、だいぶ不便だが死ぬほどでもない。

まだこうやって外を歩けているのだ。ありがたいことだ。

 

iphoneを見る。

はてなカウントアップから『314159273日目』という通知があった。

あれ? と思う。この数列には見覚えがある。なんだったろうか。

電話番号ではなさそうだ。なんらかの法則性があるわけでもない。

 

てくてくと田圃道を歩きながら、気づく。円周率だ。

ただし、本当は3.1415927……と永久に続く不思議な数字。

 

人間として生きている限り、永久とか永遠とかいう言葉は、言葉としてはわかるが、実感としては実在しない概念だ。

ところが、案外簡単なみじかなところに永久は生きている。

もっと単純な永久として、1を3で割るという計算がある。

これは0.333333……と永久に続く。

どこかで終わるということがない。

 

永遠はあるよ、というのが中二病

永遠なんてないよ、というのが高二病

どっちでもいいしどうでもいい、というのが大二病。

もっと他に考えるべきことがある、というのが社二病。

 

老人になると、こうなる。

 

永遠は案外身近にある、という。

 

そして、そんな永久に続く数の中でも最も美しいのは円周率である。

では、なぜ円周率は永久に続くのか。

 

答えは簡単である。

人間の使っている物差し、数学的体系が悪いのだ。

直線を測る物差しは曲線を測れない。

 

曲線を測る物差しは曲がってなければならないのだ。本来は。

 

−−老人小説を書けって言ってるやろ!

 

skypeから担当さんの怒鳴り声が聞こえてきた。

 

僕は売れない小説家だ。

 

なぜ売れないのか。

その理由はよくわかっている。そしてそれは治りそうにない。