戦闘11日目
禁欲系ブログ盛衰記
先輩のオナ禁ブログ、禁酒ブログを見て回るのが楽しい。
自分が書く側に回るようになって、より一層面白くなってきた。
禁酒系ブログについて
禁酒・断酒ブログは、結構、本気モードの人が多い。
実際に身体を壊したり、周りの人に迷惑を掛けたり、医者に通ったり、断酒会に通ったり、生々しいアクションが伴うせいもあり、冗談じゃなくて本気なんだという強い意志を感じるブログが多い。
『飲んじゃった』
『飲みたいな。ああ、飲みたいな。飲みたいな』
『ああ、ダメだと思ってるのに飲んじゃう自分はダメ人間』
そのような内容の禁酒ブログは少ないような印象だ。
『断酒200日目。ここまで続けられてきたのはブログを見てくれている皆さんのおかげです。
本当に感謝してます。昨日も勿論飲まずに妻とお茶で乾杯しました(笑)
この清々しい気分を知ったら、もう酒なんて一生いらないと心から思います(笑)』
逆にこういう感じの、読んでる方がぐぬぬぬとなるような多幸感溢れるブログが多いイメージ。
お酒の恐ろしさや毒性、お酒による大失敗などが語られ、みんなで一緒に頑張っていきましょう( ´ ▽ ` )ノ みたいなコミュニティーが形成されていく。
もしかしたら、禁酒ブログがそのような展開に収束していくのは、リアル世界で開かれる断酒会の延長線にブログがあるからかもしれない。
ブログの読者がリアルの知り合いでもある場合、ブログ内容に配慮が入りやすい。
禁酒・断酒ブログに課せられているミッションはたった一つだ。
断酒を継続させること。そして、断酒が継続していることの幸せを歌うこと。
いつも同じテンポとコード進行でメロディーを展開させる歌手のように歌い続けること。
そして、最後には、
『みなさん、いままでありがとうございました( ^ω^ )
みなさんのおかげで一年間お酒を断つことができました。
医者も、もう大丈夫だと言ってくれました。まだ薬は手放せませんが……
一旦、ブログの更新はここで止めたいと思います。
みなさんの応援のお陰でここまでこれました。ありがとうございました!』
となり、送信し、妙にほっとしたような、寂しいような気分になるのだろう。
(その寂しさの匂いを嗅ぎつけて、アルコールがまたやってくるかもしれない)
その一方で、オナ禁ブログはどうだろうか
ひたすらgoogleを漁り、メジャーなブログもマイナーなブログも出来たてのブログも色々と観察してみた。
高校生からおっさんまで、年齢層の幅は広い。
引きこもりオタクからアクティブなナンパ師まで、その人物背景も幅広い。
書かれる内容の振れ幅も広い。
自己啓発、自己研鑽、スピチュアル、ナンパ、セクリセ、自己嫌悪、仏教解読、チントレ、コールタール、仕事術、人生論、臨界前実験……そして、リセット報告。
なんとなく、どこか、おどろおどろしい、黒い何かを感じることが多い。
おそらく、禁酒と違い、オナ禁は単純に心と身体に良いことなのかどうかが微妙だというところがネックだ。
酒は飲まなければ飲まないほどいい。
それは間違いない。適量のお酒が健康にいい、というのは迷信である。
酒は飲まなればそれで100点だ。これほど単純な判定は無い。
だが、性欲はどうか。
抑えれば抑えるほど、本当にいいことなのか?
たとえ、セクリセできる状態にいる人であっても、普段は基本は抑制状態である。
それが本当に心と身体にいいのかどうか、これがなかなか難しい。
抑制しすぎて、全くもって感受性を失ってしまうのは良くない。
ただ、感受性が高すぎてすぐに漏らししまうのも良くない。
ほどほどのところを狙う必要があり、それが難しいところだ。
0か100かの世界じゃない。
0と100の間の一番理想的な点を手探りで見つけ出す必要が有る。
0と100が良くないので、50を狙う。
しかし、50はちょっとまだ多い感じなので、25にする。
25はちょっと不足感があり、不能になりそうなので、35にする。
35はちょっと多そうだ。30にする。
……みたいな調整を繰り返した挙句、どうも狙いが初めから違うらしいということに気づいたりする。
AVを見るのはエロ禁に反する。それはわかりやすい。
でも、テレビに映っているアイドルは見ていいのかどうか。
脳内で妄想するのはいいのだろうか。
こんな妄想をした、と書くのはいいのだろうか。
オナ禁ブログは揺れる。
常に揺れている。ぶれている。生々しく苦悩する。
昨日の自分のように、突然、『全部、資本主義が悪いんやで』などとバカなことを大真面目に言い始めたりする。
禁酒ブログはぶれない。ゴールが明確に決まっている。
オナ禁ブログはぶれる。
彼女が出来るまでオナ禁、と言っていても、彼女が出来たら、それはそれでぶれる。
車が欲しい。車が欲しいという名のブログを作る。
お金を貯めて車を買う。有頂天になる。乗る。色んなところに行く。
心がぶれ始める。色んなところに行くのが目的なのか、車が目的なのか。
車への執着だけが幽霊のように残る。
車がある生活が普通の日常になるにつれ、幽霊は色褪せて消えていく。
それが寂しい。虚しい。あのころの、無性に欲しかった、あの気持ちが懐かしい。
あの焼けるような欲望を取り戻したい。
あのとき、車があれば、人生が変わると思った。
世界の色相が反転すると思った。全ての音が半音上がり、全てが好転すると思った。
確かに、車を手にいれ、幸せになった。しばらくの間は。
今は、ただ空気のように乗り、無感動に走らせ、会社に行くだけだ。
確かに、何かを失ったのだ。
もしかしたら、オナ禁ブログは『車を持っているのに、あえて車に乗らない』ということなのかもしれない。
あのときの輝きを取り戻すために。
そう思うと見え方が変わってくる。
すなわち、オナ禁ブログにゴールはない。
オナ禁ブログは、この揺れる日常自体が、ゴールそのものなのであれば。